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Friday
戦いが終わった――。
実に10日ぶりにシャワーを浴びながら、安堵感に包まれる。
2010年1月5日 北京時間15:53 全行程走破!
全走行距離 635.11km(若干、メーター狂ってるかも)
全走行時間 43時間37分55秒
おそらく、ミニベロ(小径車)でのタクラマカン砂漠縦断は、世界初。
ゴールの瞬間は、達成した実感に酔いしれるよりも、
抱きしめたときに倒れてきた「0kmの道標」を、
慌てて立て直すのに必死だった。
(ちゃんと固定しておけよ。もう。)
帰国したのは、これから5日後のことだ。
それまで、ウルムチで土産物買ったり、
炭火に当たりながら、ウイグルの民とスイカを食ったり、
博物館で美女ミイラを見学したりして過ごした。
実は、帰国後、この旅を43ページに及ぶレポートにまとめて会社に提出した。
(別に、仕事で行ったわけではないのだが…色々あって)
そのレポートを書いているときに、ようやく実感として縦断したんだなぁ、
と思えてきたが、ゴールした日には、まったく実感がわかなかった。
砂漠公路に入って2日目に、自分で広げた風呂敷の大きさを思い知り、心が折れた。
真ん中の「塔中」をゴールにしようと本気で思った。
その時から自分の中では、時間がストップしたようで、
ゴールに立ったときには、嬉しくて感動もしているのだが、どこか実感がなかった。
“夢”を叶えたはずの感覚が、まるで“夢”から醒めたときのような現実感のない感覚。
しかし、時間が経つにつれ、それもゆっくりと実感できてきた。
25歳の節目の歳に、今回のチャレンジを刻めたことは、
今後の人生で意義のあることだと勝手に思っている。
「おじいちゃんの“砂漠の話”、また始まったよ〜、勘弁してよ〜」
と、
孫に言われても、この旅を、いつか孫に聞かせたい。
今回の旅で、2010年の運は全て使い果たした。
たぶん、もう手元に「運」は残っていないだろう。
でも、ふと、まわりを見渡すと、砂漠に無いものが全部ある。
会いたい人にも会えるし、食べたいものも食べられる。
「運」なんてなくても十分やってける気がする。
そんな風に思った。
最後に、この旅を日本から心配してくれていた
家族や友人、会社の仲間、
思わせてたかと思いますが、
皆さまに本当感謝します。
ありがとうございました。
201007
Thursday
大袈裟かもしれないが、
こんなにも“朝”が喜びに満ちた時間に感じる日々は、
今までの人生でなかった気がする。
大音量の目覚ましに毒づきながら、起きて、
ダッシュでシャワーを浴び、朝飯もそこそこに家を飛び出し、満員の地下鉄に乗る。
“朝”なんて、かったるくて、グルーミーな時間だったのだ。
でも、この砂漠生活では、“朝”は何よりも愛しく、貴重な時間。
凍てつく寒さの夜は、はるか地平線の彼方に去っていき、
疲れた身体と心にエネルギーが充填され、縦断への思いを再び強くする。
何でもできるんじゃないかという、強気な気持ちが湧き上がる時間なのだ。
「塔中」を出てから、2日が経った。
また、一人になったが、食糧も水も、人のぬくもりも補給したので、
かなり元気になった。計画も再度練り直し、
「塔中」から4〜5日でゴールできる見通しがついた。
「塔中」の町の出口には、大きなゲートがあり、
縁起でもなく「死亡之海」って書いてあった。さらに、「只有荒涼的沙漠」・「没有荒涼的人生」というスローガンが書いてある。
推測するに、「砂漠は荒涼とした世界だけど、人生に荒涼とした人生なんてない!」
というポジティブな意味合いだろう。
塔中を過ぎると、いきなり交通量が多くなる。
この付近の油田を行き来するタンクローリーだろう。
追い抜かれるたびに、結構ビビる。
タクラマカン砂漠の地下には、豊富な地下資源(石油、天然ガス)が埋まっている。
一説では、タリム盆地だけで1200億バレルの石油があり、
その量は、世界最大の産油国であるサウジアラビアの
確認埋蔵量の約半分にあたるという。
この広大な砂漠がそんな資源を隠しているとは、想像もつかない。
アップダウンの激しい道を、干しブドウを食いながら走る。
ニヤの町で買った干しブドウ、めっちゃ甘くてうまい。
貴重な糖分補給だ。
砂漠に雪が積もっている珍しい地帯を走った。
同じ面だけに雪が積もり、さらに雪で風紋が固められている。
雪の層は薄くて、洋菓子にかけられている砂糖のよう。
砂漠に入ってから1週間が経った。
毎日見ていた砂丘がほとんどなくなり、辺りはサバンナのような風景になってきた。
ライオンとかシマウマとか置いたら、間違いなくアフリカだ。
砂丘がなくなると、いきなり空が広くて、今まで着ていた服を脱がされたような、
物足りなく、落ち着かない気分にさせられた。
500km台だった道標は、いつの間にか100kmを示していた。
道標に刻まれた数字は、夢までの距離。
「塔中」を出てから3回目のテント泊を迎えようとしていたところ、
小さな村が出てきて、宿を見つけた。
宿の玄関を開けると、綿をつむぐウイグル人のおじいちゃんと、
その傍らにベッドを置いて、具合が悪いのか、横になって点滴をしている
宿のおばちゃんがいるというシュールな光景に迎えられた。
チャリを部屋に運び入れると、ベッドに仰向けになって倒れた。
天井の模様をぼんやり眺めながら、ゴールまであと2日、いや、うまくすれば1日、
と、少し現実感のない感覚とともに、シャウトしたいくらいの何だかよく分からない
強くて熱い気持ちを感じた。
へなへなの小額紙幣をポケットに突っ込んで、
村の食堂で、ラグメン(ウイグル風うどん)を食いに行く。
くたびれた木の長椅子に座って、ちゅるちゅると麺をすすり、
ここまでのことを少し思い出す。
翌朝、荷物をすべてくくりつけ、不要なものは宿のゴミ箱に捨てた。
道中、砂漠の砂に残りのガソリンを還す。今日中にたどり着く覚悟だ。
ゴールまでは身軽で行きたい。スピード重視。
輪南という町に着いた。スタート地点のニヤより大きな町だ。
この町を通り抜けようとしたとき、公安の検問に捕まる。
スマイルを維持しつつ要求に従う。
油田とか、橋とか、メインのカメラではヤバイものを撮っていたので、
とっさの判断でサブカメラを出した。
当たり障りのない砂漠で撮った写真を一緒にチェック。
「砂漠のなかの野宿は寒くて〜」
とか話しながらも、心のなかでは、
メインカメラがばれませんように、と祈り続けた。
英語の分かる公安の1人に諸々問いただされ後、釈放された。
この先、気をつけて行きなさい。何かトラブルがあったら、ここに電話しなさい、と
彼の携帯番号をメモしてくれた。実はいい奴だった。
兎にも角、メインカメラ、見つからなくてよかったー、消去されなくてよかったー。
そこから38kmひたすら最後の直線を進む。
途中、「犬」ポイントが多く、吠える声が聞こえる度に加速するので、
その分、ゴールに近づく。
残り1kmとなったとき、ずっと走ってきた砂漠公路が
他の国道と合流するポイントが見えてきた。
■ 2010年1月2日(土)
走行距離:85.26m / 走行時間:6:00′44″
平均時速:14.1km/h
■
砂漠生活5日目のゴール地点
北緯 39°37′38.2″東経 84°01′56.0″
■ 2010年1月3日(日)
走行距離:98.25km / 走行時間:6:38′35″
平均時速:14.7km/h
■
砂漠生活6日目のゴール地点
北緯 40°22′40.0″東経 84°19′34.3″
■ 2010年1月4日(月)
走行距離:97.23km / 走行時間:6:15′36″
平均時速:15.5km/h
■
砂漠生活7日目のゴール地点
北緯 41°10′46.9″東経 84°13′17.7″
■ 2010年1月5日(火)
走行距離:91.62km / 走行時間:5:23′49″
平均時速:16.9km/h
■
砂漠生活8日目のゴール地点
北緯 41°48′46.6″東経 84°19′31.9″
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