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この1年、更新はおろかブログに足を運ぶことさえ、
おろそかにしてしまっておりました。
見に来てくださった方、ごめんなさい!

その間、結婚したり子どもが生まれたり、という変化もなく、
28歳独身生活を相変わらず謳歌しています。

近況としては、最近、ボルダリングに熱を上げています。

bouldering

ボルダリングとは、フリークライミングの一種で、
3mくらいの落ちても大丈夫な高さの壁をよじのぼるスポーツ。
床にはクッション性の高いマットも敷いてあるので、落ちても笑顔でいられます。

8月に北アルプス縦走を企てていて、そのトレーニングの一環として、
チャレンジしてみたのがきっかけ。楽しすぎて動揺した。

7月の末に始めてから、ボルダリングジムに13回通って分かった魅力。

その1:必要なものが、シューズと粉チョークのみという手軽さ。
その2:課題をクリヤーしたとき(登れたとき)のすさまじい達成感。
その3:自分のカラダへの思いやりが増す。
その4:力不足のおかげで日々謙虚でいられる。
その5:見たことのない筋力との出合い。
その6:ボルダリング仲間との出会い。

と、枚挙にいとまがない。

ボルダリングの記録もどこかに残しておこうかと思い、
面白い内容になるはずがないのだけれど、
本家ブログさえもおろそかにしている俺だけど、
ブログも立ち上げてみた。

■油猫の壁のぼり。
http://aburaneco.jugem.jp

本家ブログも、更新しようと思います。
8月に旅した北アルプス縦走の話なんかを書こうかな、と。

今月はハワイとスリランカを旅します。



先週、我が家に遊びに来て
東京めぐりを満喫していたインドネシア人の友達が、
嵐のように去って行き、
超大型台風も日本列島を駆けめぐり、
秋がきた。

芸術の秋。



ということで、
2年に1度開催されるアートなイベント『中之条ビエンナーレ2011』に
3連休の3/2を使って行ってみた。

チャリで。

 

自宅から会場まで160km。

途中、ゲリラ豪雨にも見舞われながら、旅をする。



初日は145km走って、渋川という町のビジネスホテルへチェックイン。
Tシャツ一枚で来たのがギャグかと思うほどの寒さを温泉でなぐさめ、
旅してる幸せに包まれる。

走りながらあらためて思ったのだが、
チャリって奴はほんと「点と点」の間の記憶を
鮮やかにしてくれる魔法のツールだと思う。

たとえば、

夜、利根川を渡る橋の上。
闇のなか轟音を立てて流れる川に不気味な恐ろしさを感じた。
今、この身が欄干を越えて川に放り出されたらエライことになるだろな。
と、想像しながらハンドルをぐっと握りしめる。

でも、10年後とか、意外にもこういう超どうでもいい「旅の断片」が、
妙なリアリティとともに思い出に残っていたりするんだよなぁ。

旅のハイライトが必ずしも、記憶に残るとは限らないのがいつも不思議。



会場は中之条を中心に、山のあちこちに点在している。

それらが峠の中腹にあったりするもんだから、太ももが悲鳴を上げる。



旧五反田学校という廃校になった建物を活かして、
作品が飾られた場所がお気に入りで、夢中でシャッターを切った。



なんというか、ガラス窓の光がとても柔らかい。、
そこまで考えられている展示を目の前にして、
この作品はこの場所以外では成立しないのだろうな、と考えてしまう。



大量消費社会に対して、疑問を投げかける作品らしい。



中之条って、取り立てて観光客が押し寄せるような観光スポットはないのだが、
このビエンナーレでかなり多くの人が足を運んでいるのを感じる。

展示している場所も、正直どこの田舎にもある廃校や倉庫、農具の小屋など、
取り立ててスペシャルな場所ではない。

でも、どこにでもあるだろう場所に唯一無二の作品が結びつくことで、
特別な意味合いをもって魅力的に心に迫ってくる。



どこでもできるようで、ここでしかできない。



材木屋さんの中の展示を見ていると、地元の人が案内してくれた。

作品を観に遊びに来ている地元のおじいやおばあもいた。
「おれにはよぐ分がらね」と言いつつも、コンテンポラリーアートの
作品をしげしげと観ている。なんだかとても微笑ましい。



アートって老若男女楽しめるし、解釈も無限大。

町おこし、地域活性を意識しているのだろうイベントだが、
そうだとしたらかなり成功しているのではないかと思う。

アートはきっかけ。

実際、この場所への愛着みたいなものができたから。
展示物が一切なくなっても、また来ようって気になっている。



「十割そば」がうまい。温泉にも癒される。
もう、中之条ラブ!!って思う。

でも、「そば」と「温泉」と「人情」と「豊かな自然」だけを謳っても
なかなか観光客を呼び込めず、苦戦している町が多い。

持っているものを素直に伝えることだけじゃなくて、
世の中が求めているもの(鍵穴)に合う情報発信やイベントの企画(鍵)が
大事になってくるのではないかな。

アートの素晴らしさにふれながら、そんなことをぼんやり思った。




旅先で出合うような市場が、
我が家からチャリで40秒のところにある。

いわゆる街のスーパーマーケットじゃなくて、市場。

卸売市場のような巨大なものではないのだけれど、
コンクリート打ちっぱなしで、ところどころ昭和中期の匂いのする変色したタイルや、
建物をつぎはぎした跡が残っており、古びた蛍光灯なんかがぶら下がっている。

建物はだいぶくたびれている。

でも、その建物のなかで飛び交う威勢の良い八百屋や魚屋、肉屋の掛け声は、
溌剌としていて、建物全体に血が通っている感じがする。
というか、かなり血行が良い感じだ。

迷路のような市場には、田舎から届く段ボール箱を開けたときに、
ふわっと香る、野菜の匂いなんかが漂っていて幸福感につつまれる。















一人暮らしだったことを忘れて、野菜買いすぎた。

この夏は仕事が忙しく、コンビニ弁当になってしまう日もあった。

なんだか、タマシイが抜けてしまってるお弁当に比べて、
この野菜たちの活きいきとしたタマシイ!!
トマトなんてはち切れんばかりのパワーを感じる。

くっそー、にくいぞ夏野菜!
その元気を分けてもらおう!

なんだか嬉しくなってしまう。

さっそく深めのフライパンに突っ込んで……。















なりゆきで、カレーにした。

煮込んでいたらほとんど形はなくなって溶けてしまった野菜だが、
その水分が「たぷたぷ」で、水を入れずにカレーが完成した。















ドバイで買ったラクダのミルク入りチョコレートの残りを、
かくし味にぶっこんだところ、だいぶ丸みをもった味になる。


「パワースポット」ブームになって久しいが、
場所以上に、「パワーフード」と思える「飯」が大事だと思う今日このごろ。

食生活が乱れがちになると、やっぱりパワーが出ない。
元気いっぱいの野菜や肉や魚に、パワーを「いただきます!」せねば、と思う。




ひとり、山のなかにいる。

アブラゼミじゃなくて、ヒグラシ達が昼間だと言うのに鳴いている。

小さい虫なのに、山じゅうに響き渡る。


この前、テレビで誰かが言ってた。

セミが人間のサイズになって、東京タワーから鳴いたら、
鹿児島まで聞こえるくらいの音量になるそうだ。

嘘か真か。

でも、あのボディの小ささで森全体のこの雰囲気あるサウンドをつくるのだから、
大したものだ、と関心しながら深呼吸をする。



3連休、なんだかんだ2日間は、たまっている仕事をしてしまった。

オフィス行ったり、家の近くに高速な無線LANが飛んでいるお洒落カフェを
仕事場にして作業したり。天気良くて、大好きな夏なのにくやしい。

そんななか、急に山の匂いがかぎたくなった。

最近、「山」足りてねぇなー。
なんだこの欠乏感と補充しなきゃ感。

鞄にカメラと財布だけを突っ込んで家を出た。


気分で西のほうへ向かったところ、御岳山にたどり着いた。

ケーブルカーのなかにインド人グループが乗っており、
インドのどこか田舎町にいるような不思議な気分になる。

ああ、久しぶりのひとり旅。
自分とデート。


都心から近い高尾山がブームになって久しいが、
ここ御岳に来てみて、何だかこじんまりとしているけど、
今、話題のパワースポット感は高尾山を凌ぐと思った。

「犬」の神様が有名らしく、参拝者ならぬ参拝犬もちらほら。

汗だくになって辿り着いた山頂には、小さな社や祠が並んでいて、
ありがたい空気を作り出しており、
最近噂の山ガール達と、"元”山ガール達が、手を合わせている。


山菜うどんを食べて。
別の意味でパワーチャージをし、いざ、森のなかへ。


森のなかはかなり、ひっそり。

思ったとおりの空気感。

先週、カビの生えたウーロン茶を
飲んだのを発端に高熱を出し、
夏風邪も併発し、さんざんだったのだが、
森のなかを歩いていると心身ともに
洗われるような気がした。

しばらく歩いた先には、
立派な滝が落ちていた。

丸い滝壺に、勢いよく注ぐここは、
マイナスイオンだらけだな。

リラックスするはずが、あまりの滝のカッコよさに
興奮して、アドレナリンが止まらない。

森の匂いと、滝の飛沫の匂い、
ヒグラシと鳥と滝のサウンド。


ちょっと苔の生えた岩の上に座って耳をすますと、
日々の雑事を忘れて簡単に「無」の境地に足を踏み入れられる。
難しい修行なんか必要ないのでは、と思ってしまうほどにだ。

先日、パワースポットに詳しい某タレントさんから聞いたのだが、
自分にとってここが気持ちいいという場所が、本当のパワースポットであり、
それは千差万別だそうだ。

そう考えると、この滝は僕のパワースポットだ。

若干苦労するし、山の奥深くではあるが、
都心から3時間弱くらいで来られる。
たまにここに来るのもいいかも知れない。


帰り道、門前町の小さな食堂で、自家製の味噌おでんをつまむ。
刻み柚子と、甘い味噌が素敵なコラボレーション。
うまい。うまい。

お店のおばあと他愛もない話をして、帰りしなに「味噌用の木ベラ」をプレゼントされる。


中央線で新宿に着くと、蒸し暑い「コンクリート・ジャングル再び」なのだが、
不思議なことに、山から帰ってくるとそんなことに苛立ちは覚えない。

山の欠乏感は充足感へと変わっている。
また、なくなったら、チャージしに行こう。

昔、カラカラの中東を何ヵ月か旅したあと、緑が恋しくなって、
家に帰るよりも先に、緑のなかに身を置きにいったことも思い出す。

日本国内、いざとなれば電車に乗ってすぐに森にも海にも行ける。
これは、かけがいの無い宝もの。

森のないところでは生きていけない。

都市生活を営みながらも、
そんなことを考えずにはいられない月曜日の祝日、



海の日に。



傘をささずに会社からダッシュ。

最終電車に飛び乗って、
地元の駅に着くと、雨は上がってた。

雨上がりのにおいが優しい。

コンビニでカットされた氷を買って
先ほど、帰宅。

部屋に飾ってた旅先で買ったお酒を
開けてグラスにとぽとぽ注ぐ。

おめでとう、俺!!

本日、生まれて10,000日目。

文字通り仕事が山積みになったデスクで働いて、
ひとり会社を出て、雨のなか走る。
誰にも祝ってもらえないどころか、
ずいぶん寂しい状況だけど、
不思議と気分の良い帰り道だった。

10,000日目は、生まれてから27年4ヵ月と16日目に訪れます。

毎年来る誕生日と違って、何だかありがたみに満ちた記念日。

次の20,000日目は54歳、30,000日目は81歳で迎えるそう。
10,000日目はひとりだったけど、次は自分の子供に、その次は孫に祝ってもらおう。

それにしても、ありがたい。

五体満足で好きな仕事をして、うまい酒を呑めて布団にくるまってすぐに眠れる。

平凡だけど、本当多くの方々のお陰で、こうしていられるのだ。

これまで育ててくれた人たちはもちろん、
今、福島の原発の過酷な環境で作業してくださっている名も知らぬ作業員の方々まで、
あなたのお陰で今、こうしていられます。

本当にありがとう。

10,001日目からは、少しでもその感謝をかたちにしていきたい。
届けたいと思います。



2011.7.4
吉田拓郎さんの名曲「今日までそして明日から」を聴きながら


 
夜中に2時に、とうもろこしを蒸かしてるのもどうかと思うけど。



先日、公開された映画『さや侍』をさっき観てきたところ、
劇中に出てきたとうもろこしが急に食べたくなり、蒸かしてみた。

『さや侍』、松っちゃんらしい映画だった。
これから観る人も多いと思うので、ネタバレしないようにしなきゃいけないけど、
エンディングは、良い意味で予想を裏切られた。

侍なのに「さや」しか持たない主人公、その生き様を、
娘の眼を通して観る者に訴えかけてくる。

父親として、説教をするわけでもなく、生き様で伝えるというのは、
本当にかっこいい。俺もいつか、そういう父親になりたいと思ってしまう。
生き様を見せるということは、常に現在進行形で見せ続けないとならんのだよね。
過去の経験をもとに、上から目線で言うのではなくて。

そういえば、「生き様」って言葉、実は日本語の誤用なのだ。

「死に様」に対して生まれた言葉で、本来、「様」というのは「状態」を表す語。
死んでいる状態、様子を、「死に様」というのに対し「生きる」というのは「状態」というよりも
もっと継続性が強く、「状態」と表現するにふさわしくない、という理屈らしい。

が、そんなことはどうでもいい。
「生き様」って言葉、なんだか好きだ。

「死に様」って、最期のワンシーンだけを切り取ったものにすぎず、
それは、不本意なかたちもあるだろし、意思によって動かしがたいもの。

でも、「生き様」は無限の選択肢のなかから、意思をもって選べる。
「死に様」じゃなくて、「生き様」で評価されたいところ!
ぜひとも、「生き様」のかっこいい男になりたい。


数年前に出会って感銘を受けた竹原ピストルさんが、映画に出てきた。
これがきっかけで大ブレイクとかしてしまうのだろうか。

このキャスティングは、昔から応援してきた松ちゃんの親心だなぁと感じずにはいられない。


さてさて、明日からアラブ首長国連邦に取材。
久々の中東。6年ぶりかぁ。

暑いだろうけど、全力で頑張ることを「生き様」としたい!



完全にほこりがかぶったBlogを再開!

前回の更新から約10ヵ月経つけれど、その間、色々あった気がします。
僕も、僕をとりまく世界も。

読んでくださっていた方、更新せずにご心配おかけしました。
報せがないのは良い報せで、毎日、笑って暮らしています。

そんなことをいいつつも、最後の更新日2010年7月19日、
この日に戻れたら、もう一回やり直せたこともあるだろうし、
震災もどうにかできなかっただろうかと思う。



6年前、サハリンまでママチャリで走ったとき、
東北の太平洋沿岸地域では本当に多くの方々に助けてもらった。

見ず知らずの旅人を家に泊めてくれたうえに、
大きなおむすびを作って応援してくれた兄ちゃん。

野宿場所がなくて困っていたとき、テントを庭に張らせてくれて、
出発の朝、岩手名物「みそぱん」まで持たせてくれた
優しい顔のおばあ。

みんなどうか無事であってほしい。

祈っているだけでは、どうしようもないので、
そのときと同じテントをバックパックに詰めて、
4月29日から、今日5月6日まで被災地に行ってきました。

恩返しと言うのはおこがましすぎるけど、
災害ボランティアとして、何か少しでも力になりたい。



時々刻々と、被災地のニーズは変わっていくので、参考にならないかもしれないけど、
これから被災地ボランティアに行く方々の少しでも情報になればと思い、
活動内容をここに残しておきます。(細かいうえに、面白くなくて申し訳ないっす!)

実際、今回飛び込みで活動するとき、頼りになったのは、
誰かがUPしていたBlogの記事だったり、twitterのつぶやきだったりしたので。


4月29日(金) 0日目

夕方、東京駅発の高速バスに駆け込み乗車。深夜、仙台着。
仙台駅のまわりは、見た目はいつも通りで、少しほっとした。
名物「牛たん」は時間的に食べ逃したが、代わりに吉野家で腹ごしらえ。

東口を出たところにあるネットカフェで、情報収集&仮眠。
夜、更新されたボランティアセンターの最新情報をもとに、行き先を宮城県岩沼に決定した。


4月30日(土) 1日目

始発の常磐線(亘理行き)で、岩沼まで30分弱。
途中の車窓からは、瓦の壊れた家がぽつぽつ見られるくらいで、目立った被害はなさそうだ。
到着した岩沼駅前も特に被害はなさそうだ。駅のコンビニ(NEW DAYS)は6:30オープンなので、
食糧は買えなかったが、「基本、自己完結!」という思いから持参した食糧があるので、問題なし。
タクシーに乗って、社会福祉協議会の建物へ。

タクシーに乗るのも、「被災地にお金を落とすこと」。
このフレーズは、自分に負けそう、というか負けたときにしばしば用いた魔法のコトバ。
ぽぽぽぽーん。

6:00に社会福祉協議会に到着。
8:30のボランティア受付開始の前に、すでに10人以上並んでいたので、
場所取りだけして、社会福祉協議会のすぐ近くにある公園にテントを張りに行く。



公園は、トイレ(紙あり)、水道、東屋があり、テントも100張りくらいはいけるスペースがある。
歩いて10分くらいのところには、100ショップや、大型スーパーもあるし、もうちょい歩くと風呂屋も。
この時点で、とりあえずミネラルウォーターは、持参不要なことに気づいたけど、まぁ、いいか。

8:30ちょうどに受付スタート。

簡単な手続きと、ボランティア保険への加入確認を経て、ちょっとだけ室内待機。
待機場所には、国内・海外からのメッセージのフラッグが掲げられていたり、
ボランティアへの差し入れのお菓子・飲み物が置かれたりしていた。なんだか恐縮。

まとまった人数ごとに、スタッフに呼ばれて簡単なレクチャーを受けたあと、
その場で、班のリーダーが決められ、送迎車に乗って被災地へ向かう。

岩沼では、個人宅片付け(泥かき)、避難所支援・物資の仕分け、
事務局、送迎、資材洗い、品物復旧、引越し支援などの募集をしていたが、
この日は、特に希望を伝えなかったところ自動的に「個人宅片付け(泥かき)」になった。

家屋倒壊などは少ないものの、津波で浸水し、ヘドロが大量に積もった家屋や庭の
泥をスコップでひたすらかき出す。水分を含んだ粘土質のヘドロは重く、結構な重労働。
土木関係の方の手際のよさは、こういうシーンでかなりものをいう。

ほとんど息をつく暇もなく、今度は、「午後の仕事をしたい人」の列に並び、
午前と同じように現場へと派遣される。

岩沼は、GWに急増したボランティアに対しても受付を中止せず、仕事を割りあてる。
そのため、午前中仕事をした人は、午後は午前中仕事にありつけなかった人に譲る、といった
人数調整を行う日もあるようだった。この日は、幸いに午後も活動できた。

午後も個人宅の泥かき。
庭の畑に積もった泥を、猫車(通称:ネコ)にてんこ盛りにして、運び出す。
明らかに重機が入れない、せまいスペースは人力が必要。ひと通り、泥をかき出し終わると、
少しだけ役に立てたような気分になったし、作業終了時に、家主のおばあちゃんが、
何度も「ありがとうございました」と、温かい言葉を伝えてくださった。
お礼の言葉を期待していたわけじゃないけど、その一言で、どんな苦労も一瞬でねぎらわれる。

すべての活動は、16:00に終わるので、それから海まで数キロ歩いてみた。

活動現場となっている地区を越えると、一気に建物が無くなり、景色が一変する。
田んぼには、流れついた瓦礫や、転倒したままの車が転がり、電柱は根っこから折れ曲がっている。
辛うじて残った建物も、1階部分が痛々しくえぐられていたり、建物ごとごろんと倒れていたり、
現実感がまるでない光景だった。

崩壊した階段を上って、堤防から海をながめる。
波は静かだが、鈍色をした海はどこか不気味で、心がまったく落ち着かなかった。

ご飯を自炊して、テント泊。
意外に疲れていたようで、熟睡。


5月1日(日) 2日目

今日も6:00から順番待ち。
午前の仕事は、昨日に引き続き、泥かき。

でも、今日はひと味違う。 家屋の床下にもぐりこんでの作業。
こんなところまで、満遍なくヘドロが入るなんて、想像していなかった。
衛生面から、ヘドロはわずかでも残すわけにはいかない。使命感に火がつく。

午後の作業は残念ながらすでに定員〆切りとなっていたうえに、雨の予報だったので、
急遽、活動拠点を岩手県に移すことにした。

一昨日、復旧したばかりの新幹線に乗って、新花巻まで行き、
そこからは鈍行列車で、遠野まで向かう。
どうでもいいが、新幹線の車内販売のりんごアイスが、うますぎる。

「遠野まごころネットワーク」という、市民ボランティアや、社会福祉協議会などが結成した
沿岸被災地への後方支援を担う団体のもとに飛び込む。

ここも、GWに飛び込みの個人ボランティアを受け付けている数少ない団体のひとつだ。
残りの4日間は、ここで働くことを決めた。

遠野も地震の被災をしているが、市内で全壊した建物が1軒だけなので、町はほぼ平常。
ちなみに、唯一全壊した建物というのは、「市役所」だそうだ。(汗)
町には大型スーパーや、名物のジンギスカン屋、食堂、ホームセンター、温泉など、
手ぶらで来ても何とかなるくらい、たいていのものはそろう。

必要書類とともに、ボランティア受付をして、テント泊禁止の遠野では、
体育館が割りあてられ、体育館での宿泊となった。
GWはボランティアが急増したため、臨時で3ヵ所の体育館がボランティアの宿泊所になる。
遠い場所にある体育館になったため、町に出るときや、本部までは車で来ているボランティアを
ヒッチハイクするしかない。

夜は、かなり冷えるので、マットとシュラフは必携!!


5月2日(月) 3日目
                           

8:30にバスが迎えに来て、被災地へ行く。
今日の活動地は、陸前高田市。

海からほど遠い山の中にも関わらず、
津波が押し寄せて、瓦礫地帯と化した地区で
バスを降りた。

無数のカモメが空を舞い、生臭い匂いが立ち込める。
この匂いは、テレビからは伝わってこないな。

その場で、チームを組んで、リーダーを選出。
職業も年齢も違う日本全国から集まった人間を
その場にいる人たちだけで、指示系統をつくり、
まとめる。今日から来た人も、すぐにリーダーに
なることもある。誰もがそれぞれに強い思いを
持ってここに集まってきているので、スムーズ。


午前中は、小学校の通学路の環境整備。

瓦礫やゴミが散乱した一帯を、きれいにする。急な斜面や危険物との戦い。
釘を踏んで怪我をしている人もいる。

鉄板の入った「踏み抜き防止インソール」は、必須アイテムのひとつだ。
あと、防塵マスク、防塵メガネ、作業手袋、長靴、ヘルメットもリアルに必要。

作業中、噂に聞いていた腐敗したサンマが多数出てきた。

防塵マスクをしていても強い臭気にたじろぐ。
半分、土のなかに埋まっているので、かき出すと「うじ虫」がびっしり。
少しでも、サンマの腐敗したかけらが服に付着すると、自分自身がどこに移動しても、
もれなくサンマ臭がついてまわる、というおそろしいことになる。というか、なった。

ある程度、通学路がきれいになったのはよかったが、
強風のため、午後の活動は中止となった。

今日から、宿泊している体育館でミーティングをはじめることになる。
体育館でのリーダーも立候補にて決まり、本部で毎晩行われる会議の内容を
伝達したり、各ボランティアからの意見・要望などを共有、速攻実現する体制ができる。
誰もノウハウがないなかで、とてもよく組織が回っている印象を受ける。


5月3日(火) 4日目

遠野2日目。活動地は、昨日に引き続き陸前高田。
辛うじて建物が残った小友小学校・中学校の瓦礫の撤去作業。

サンマは出てこなかったが、果てしない量の瓦礫をひとつひとつやっつける。

今日は160人規模のボランティアが集まったので、人海戦術により、
午後の活動が終了したときには、見違えるほどさっぱり。

少し高台にある学校も、低層階は津波被害に遭い、体育館はボロボロだった。
正面の壇上に掲げられた「卒業」という文字とともに、時間は止まったまま。
高台から町を見下ろすと、見渡す限り瓦礫。

郵便局の配達員さんが町を見ている姿に、切なくなった。

後から知ったことだが、この日、学校の瓦礫の撤去に、某女性シンガーソングライターが
一般人に紛れて参加していたそうだ。本業の歌で支援するアーティストが多いなかで、
こういった別のかたちで被災地に入っている方もいる。


5月4日(水) 5日目

本格的に、サンマ撤去の日。
活動地は、今日も陸前高田。

水産業者さんの冷凍倉庫が、津波で破壊され、2000トンのサンマと鮭、高級イクラが、
地域一帯にながれ出した。臭いがただものじゃないので、衛生的にどげんかせんといかん。

小雨まじりのなか、数百人規模で撤去作業にあたる。

トングやスコップでかき出すけれど、ひと堀りすると数十尾、その下にも数十尾と、
腐ってトロトロになったサンマが、ミルフィーユのように重なっている。

土のなかから、ぬるんと手でサンマを抜く作業は、なかなかシュールだ。
2ヵ月近く経つのに、意外にもかたちがきれいに残っているサンマが出てくると、
不覚にも、ちょっとうまそうと思う自分がいた。

鼻つまみもんになっているサンマだけど、
別にサンマに罪はないし、サンマも被災者だ。

秋になったらサンマを買って、ビールとともに供養することを決めた。


5月5日(水) 6日目

活動最終日。今日派遣されたのは大槌町。

個人宅で、はがした床下の泥かきと、消毒の消石灰まき。
微力だけど、またここではじまる暮らしの一歩になれるといいな。



最後の活動を終えて、遠野に戻ると、桜がいよいよ満開を迎えようとしていた。



東北に行くと、「ありがとう」の文字があふれている。

関東にいると、「頑張ろう!日本」ばかりだけど。
その声は、ちゃんと届いています。

遠野でおそば屋さんに行って、ビールを頼んだら、
「ご苦労さまです」とわざわざグラスに注いでくれた。本気で恐縮。

僕らが活動から帰ってくると、宿泊している体育館に
地元の方からのおいしい甘酒を差し入れがあった。

東京へ帰る夜行バスを待っていたら、地元のおっちゃんが、
「ご苦労さまです」と頭を下げてきた。
何も大したことはできていないんだけれど、こうして来てくれることがありがたいという。
おっちゃんは、ジャンパーのポケットから、ワンカップの焼酎を取り出して僕にくれた。
(このお酒をつくっている会社は陸前高田にあり、全壊していることが後で調べて分かった)

「ボランティアがGWに殺到」と、メディアでは否定的な報道もされていたり、
受け入れ先での賛否はあるようだが、それでも、確実に現地にボランティアのニーズはあるし、
わずかながら目の前の景色を、皆で変えることができた。
負荷をかけてしまっているはずの遠野の方々にも、逆にありがたがってもらえた。
これが、実際に僕の見てきたすべてです。


最終日、作業着脱いで、ほっとして力がぬけた自分がいた。

でも、同じ町で活動している自衛隊や、長期のボランティアの人たちは、
作業着を脱ぐことができないし、ましてや被災者の方々も今いる場所を離れることもできない。

一緒に頑張るために、まずは帰ってから自分の仕事を頑張ろう。
一生懸命税金おさめて、被災地も思い続けよう。
それが、これから継続してできることだと思う。



梅雨明けって、
一年で最もテンションがあがるタイミングだ。
なんで、こんなにわくわくするんだ?



金曜の夜、友達とチャリ旅に出る。

仕事終わって、とりあえずチャリを袋に入れ、
時間がないのでタクシーに積んで、竹芝桟橋へ。

長野を走る予定だったが、急遽、0泊2日で三宅島へ。



2等船室まで満員だったので、「2等席なし」というレアな切符を買って、
甲板にビニールシートを敷いて寝た。

 夜風が気持ちよすぎる。

 たくさんの乗客が、席がなく、
 甲板で毛布にくるまって寝ている。

 酒盛りも夜中まで行われていて、
 一瞬、「ワタミ」かと思うほどだ。
 
 どこの国にいるのか分からなくなる、
 この不思議な甲板、とても心地いい。

 ビーフジャーキーをつまみに
 ビールをちびちび飲んでいると、
 4年ぶりくらいに大学の後輩と
 甲板で偶然再会する不思議。

 夏っていいな。

 夜明けまで、少し毛布にくるまって、
 眠りについた。

朝、まわりの明るさで目を覚ます。



東の空が、赤くなってきた。
波がとても穏やか。



三宅島の三池港に上陸。

2000年に噴火して、2005年にようやく、島民は戻ってくることが
できたが、三池港のあたりは、ガスの高濃度地区に指定されていて、
基本、ガスマスクを携帯が義務づけられ、立ち入り禁止の看板も立っている。

 このエリアは、ゴーストタウン状態で、
 人がほとんど住んでいない。

 民家の壁には、島をあとにした方の
 メッセージが書かれていたりして、
 そういった方々を思うと、少し切なくなった。

 高濃度地区の山は、 木が立ち枯れている。

 骨だけになった動物のようにも見える木々が、
 山の斜面にずーっと広がっているのだ。

 火山性のガスやら、酸性雨の影響で、
 このような姿になってしまったのだろう。

 でも、不思議だ。
 自然が起こした災害は、どんなに酷くても、
 かならず、再生する。

 下のほうから、緑が復活し始めていた。

天に向かって伸びる枯れた枝を下から下から包み込むように、新しい緑が伸びている。
自然の再生能力は、並じゃない。



三宅島は一周30kmくらい。

ただ、アップダウンが多くて、それなりにしんどい。
梅雨で運動不足だったのもある。

途中、溶岩が流れた跡や、火山灰で埋まった神社などに
衝撃を受けながら、走っていく。



炎天下のなか、ようやく1周すると、
我慢できず、海にダイブ!!!

海パンは持ってきてなかったので、そのまま!

意外に波が強く、しかも深くて、おぼれかかった。



行きの港から帰りの船が出るのだと思いきや、
反対側の港ということに気づき、まさかの島内タクシーで輪行。



でも、そのおかげで、
三宅島を愛するタクシーの運ちゃんに島の話を聞けた。

住んで30年。
二度の噴火で被災したにも関わらず、離れられないという。

三宅島が好きだから。



そう思える土地に暮らせるっていうのは、とても幸せなことだ。

東京湾から、富士山が見えた。

相変わらず、立派なシルエットだ。


 

戦いが終わった――。

 

実に10日ぶりにシャワーを浴びながら、安堵感に包まれる。

 

2010年1月5日 北京時間15:53 全行程走破!

 

全走行距離 635.11km(若干、メーター狂ってるかも)

全走行時間 43時間37分55秒

 

おそらく、ミニベロ(小径車)でのタクラマカン砂漠縦断は、世界初。



 

ゴールの瞬間は、達成した実感に酔いしれるよりも、

抱きしめたときに倒れてきた「0kmの道標」を、

慌てて立て直すのに必死だった。

(ちゃんと固定しておけよ。もう。)

 

帰国したのは、これから5日後のことだ。

 

それまで、ウルムチで土産物買ったり、

炭火に当たりながら、ウイグルの民とスイカを食ったり、

博物館で美女ミイラを見学したりして過ごした。



 

実は、帰国後、この旅を43ページに及ぶレポートにまとめて会社に提出した。

(別に、仕事で行ったわけではないのだが…色々あって)

 

そのレポートを書いているときに、ようやく実感として縦断したんだなぁ、

と思えてきたが、ゴールした日には、まったく実感がわかなかった。

 

砂漠公路に入って2日目に、自分で広げた風呂敷の大きさを思い知り、心が折れた。

真ん中の「塔中」をゴールにしようと本気で思った。

 

その時から自分の中では、時間がストップしたようで、

ゴールに立ったときには、嬉しくて感動もしているのだが、どこか実感がなかった。

“夢”を叶えたはずの感覚が、まるで“夢”から醒めたときのような現実感のない感覚。

 

しかし、時間が経つにつれ、それもゆっくりと実感できてきた。

 

25歳の節目の歳に、今回のチャレンジを刻めたことは、

今後の人生で意義のあることだと勝手に思っている。

 

「おじいちゃんの“砂漠の話”、また始まったよ〜、勘弁してよ〜」 と、

孫に言われても、この旅を、いつか孫に聞かせたい。



 

今回の旅で、2010年の運は全て使い果たした。

たぶん、もう手元に「運」は残っていないだろう。

 

でも、ふと、まわりを見渡すと、砂漠に無いものが全部ある。

 

会いたい人にも会えるし、食べたいものも食べられる。

「運」なんてなくても十分やってける気がする。

 

そんな風に思った。


 

最後に、この旅を日本から心配してくれていた

家族や友人、会社の仲間、そして、「どんだけ更新遅いんだよ」と、

思わせてたかと思いますが、今、この文章を画面の前で読んでくださっている

皆さまに本当感謝します。

 

ありがとうございました。



 

大袈裟かもしれないが、

こんなにも“朝”が喜びに満ちた時間に感じる日々は、

今までの人生でなかった気がする。

 

大音量の目覚ましに毒づきながら、起きて、

ダッシュでシャワーを浴び、朝飯もそこそこに家を飛び出し、満員の地下鉄に乗る。

 

“朝”なんて、かったるくて、グルーミーな時間だったのだ。

 

でも、この砂漠生活では、“朝”は何よりも愛しく、貴重な時間。

 

凍てつく寒さの夜は、はるか地平線の彼方に去っていき、

疲れた身体と心にエネルギーが充填され、縦断への思いを再び強くする。

何でもできるんじゃないかという、強気な気持ちが湧き上がる時間なのだ。

 



「塔中」を出てから、2日が経った。

 

また、一人になったが、食糧も水も、人のぬくもりも補給したので、

かなり元気になった。計画も再度練り直し、

「塔中」から4〜5日でゴールできる見通しがついた。




「塔中」の町の出口には、大きなゲートがあり、

縁起でもなく「死亡之海」って書いてあった。“タクラマカン”の意訳かな。

 



さらに、「只有荒涼的沙漠」・「没有荒涼的人生」というスローガンが書いてある。

推測するに、「砂漠は荒涼とした世界だけど、人生に荒涼とした人生なんてない!」

というポジティブな意味合いだろう。

 



塔中を過ぎると、いきなり交通量が多くなる。

この付近の油田を行き来するタンクローリーだろう。

追い抜かれるたびに、結構ビビる。

 

タクラマカン砂漠の地下には、豊富な地下資源(石油、天然ガス)が埋まっている。

一説では、タリム盆地だけで1200億バレルの石油があり、

その量は、世界最大の産油国であるサウジアラビアの

確認埋蔵量の約半分にあたるという。

この広大な砂漠がそんな資源を隠しているとは、想像もつかない。


 

アップダウンの激しい道を、干しブドウを食いながら走る。

 

ニヤの町で買った干しブドウ、めっちゃ甘くてうまい。

貴重な糖分補給だ。



 

砂漠に雪が積もっている珍しい地帯を走った。

同じ面だけに雪が積もり、さらに雪で風紋が固められている。

雪の層は薄くて、洋菓子にかけられている砂糖のよう。


 

砂漠に入ってから1週間が経った。

 

毎日見ていた砂丘がほとんどなくなり、辺りはサバンナのような風景になってきた。

ライオンとかシマウマとか置いたら、間違いなくアフリカだ。




砂丘がなくなると、いきなり空が広くて、今まで着ていた服を脱がされたような、

物足りなく、落ち着かない気分にさせられた。



 

500km台だった道標は、いつの間にか100kmを示していた。

道標に刻まれた数字は、夢までの距離。

 

「塔中」を出てから3回目のテント泊を迎えようとしていたところ、

小さな村が出てきて、宿を見つけた。

 

宿の玄関を開けると、綿をつむぐウイグル人のおじいちゃんと、

その傍らにベッドを置いて、具合が悪いのか、横になって点滴をしている

宿のおばちゃんがいるというシュールな光景に迎えられた。

 

チャリを部屋に運び入れると、ベッドに仰向けになって倒れた。

 

天井の模様をぼんやり眺めながら、ゴールまであと2日、いや、うまくすれば1日、

と、少し現実感のない感覚とともに、シャウトしたいくらいの何だかよく分からない

強くて熱い気持ちを感じた。

 

へなへなの小額紙幣をポケットに突っ込んで、

村の食堂で、ラグメン(ウイグル風うどん)を食いに行く。

くたびれた木の長椅子に座って、ちゅるちゅると麺をすすり、

ここまでのことを少し思い出す。


 

翌朝、荷物をすべてくくりつけ、不要なものは宿のゴミ箱に捨てた。

道中、砂漠の砂に残りのガソリンを還す。今日中にたどり着く覚悟だ。

 

ゴールまでは身軽で行きたい。スピード重視。

 

輪南という町に着いた。スタート地点のニヤより大きな町だ。

 

この町を通り抜けようとしたとき、公安の検問に捕まる。

パスポートを出させられ、カメラの撮影内容も見せろと要求され、

スマイルを維持しつつ要求に従う。


油田とか、橋とか、メインのカメラではヤバイものを撮っていたので、

とっさの判断でサブカメラを出した。

 

当たり障りのない砂漠で撮った写真を一緒にチェック。

 

「砂漠のなかの野宿は寒くて〜」

 

とか話しながらも、心のなかでは、

メインカメラがばれませんように、と祈り続けた。

 

英語の分かる公安の1人に諸々問いただされ後、釈放された。

この先、気をつけて行きなさい。何かトラブルがあったら、ここに電話しなさい、と

彼の携帯番号をメモしてくれた。実はいい奴だった。

 

兎にも角、メインカメラ、見つからなくてよかったー、消去されなくてよかったー。

 

そこから38kmひたすら最後の直線を進む。



 

途中、「犬」ポイントが多く、吠える声が聞こえる度に加速するので、

その分、ゴールに近づく。

 

残り1kmとなったとき、ずっと走ってきた砂漠公路が

他の国道と合流するポイントが見えてきた。

 

あそこが、ゴールだ。
脚の太もものあたりの鳥肌が全部立ち、涙と鼻水が溢れてきた。



▼走行データ


2010年1月2日(土)

走行距離:85.26m  / 走行時間:6:00′44″

平均時速:14.1km/h

 

■ 砂漠生活5日目のゴール地点

北緯 39°37′38.2″東経 84°01′56.0″


2010年1月3日(日)

走行距離:98.25km  / 走行時間:6:38′35″

平均時速:14.7km/h

 

■ 砂漠生活6日目のゴール地点

北緯 40°22′40.0″東経 84°19′34.3″


2010年1月4日(月)

走行距離:97.23km  / 走行時間:6:15′36″

平均時速:15.5km/h

 

■ 砂漠生活7日目のゴール地点

北緯 41°10′46.9″東経 84°13′17.7″


2010年1月5日(火)

走行距離:91.62km  / 走行時間:5:23′49″

平均時速:16.9km/h

 

■ 砂漠生活8日目のゴール地点

北緯 41°48′46.6″東経 84°19′31.9″




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